はだ産婦人科クリニック【札幌市/西区・手稲区】無痛分娩にも対応

産科・婦人科・小児科(新生児)・麻酔科

羽田さん通信

冬です @さっぽろ手稲

2013年12月20日 | 未分類 | 

2013年12月20日 (金) 晴れsmiley

寒い日が続く北海道。
今週前半までの嵐のような毎日から、ここ3日間は寒いけど晴れの冬空が続き、いよいよ冬本番感が出てきた札幌手稲地区であります。
みなさん風邪などひいていませんか?

はだ産婦人科クリニックも開院してからあっという間に50日。
あわただしく過ごしていたので、まったく年末を意識する暇もなかったのですが、個人的には前職市立札幌病院の友人たちから年末の飲み会のお誘いがあったり、当院でも年末暮れの暮れに忘年会の予定が近づいてきたりで、ようやく年の瀬を感じるようになってきました

診療は・・・
外来のほうは徐々に患者さんも増えてきて、ボチボチやってます。
患者さんが途切れた時は事務さんと「道路で患者さん募集してきて」とか言いながら
病棟は切迫早産の入院患者さんがいたりして、病棟に明かりが灯っているだけでも病院らしくなったものだと他人事のように感じてしまう今日この頃です。
(看護師さんや助手さんはホントしっかりやってくれて・・・いい職員さんたちが集まってくれたな~としみじみ)

さてさて、あまり進まない僕のクリニック開業までの道のり(の話)。
確か、3-4年前くらいまで来ました よね?
政治家へ・・・なんて話がひと段落し、医者としての初心を思い出した2009年ころの話です。

日本の医者って、「皆保険」っていう世界的にもたぶん特殊な制度の中で仕事をさせてもらっているものですから、厚生省の役人が作った約束事に縛られたり、マスコミがたれ流す流言(医師不足!医療崩壊!格差格差!・・・)なんかに巻き込まれながら仕事をせざるを得ません。
あまり医療が必要ではない人に厚い保障をしたり・・・、弱者弱者といえば過保護にされる制度にどっぷりつかった人の手助けしなきゃいけなかったり・・・
僕自身、医療制度に対するいろんな疑問や葛藤があった時期でもあるんです。(今もそれは変わらないんですけどね)

またその頃は医者やって13-14年ってころで、今までやってきた、先輩たちに教えてもらってきた医療が、環境が変わったり患者さんの人種が変わったらどこまで通用するのか?とか思って、いろいろな理由や欲求が重なっていよいよ海外へ行こう!ってことに自分の中で決めました。
ちょうどプライベートでは我が家に子供が増えて、我が子にもいろんな世界を見てほしいという思いもありまして。
医者としてはキャリアにマイナスに働くかもしれないけど、忙しい日本の医者生活からちょっと抜けて、苦労はするだろうけど、家族で過ごす時間とか将来のことを考えたら数年間ならぜひ行きたいと思い立ちました。

私の父母の強力なサポートもあり、結婚前にこの希望を話していた妻からは何も反論なくいざ挑戦ということに。
両親が40年近く前、南米のパラグアイに行って、国際移住公社(現JICAの前身)の立てた病院で務めたことがあって、そのコネクションを思い立って駐パラグアイ日本大使館と駐日パラグアイ大使館に同時に手紙を書きました。「パラグアイ生まれの日本人ですが、生まれ故郷で医師の仕事をしたいのですが・・・」と。
そしたら当時の駐日パラグアイ大使が「力になれるかもしれません」とのこと
(同時にJICAでアフリカへという道にも気持ちが動いたのですが、デブで喘息持ちの僕はあえなく健康診査で撃沈しました

それから1年強の準備期間がかかりましたが、何とか我が家も、パラグアイのLaPaz日系移住地でも受け入れ準備を整えてくれて、晴れて2010年6月27日 新千歳空港発成田行きの3042便にて遠くパラグアイへの旅に旅立つのでした。

今日は長くなるのでここまで!
あまり時間軸は進まなかったようですが、また次回。
次はパラグアイでの生活と医療を簡単にご紹介・・・出来ますかね?

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