お産 はじめました
2013年11月21日(もく) 久々の晴れ
はだ産婦人科クリニックを開業して、早いもので明日で3週間になります。
この間、当院で初めての出産がありました!
市立札幌病院から僕の外来で診させていただいている妊婦さん。
お産自体はいろいろありましたが、無事に元気な赤ちゃんが生まれて、まだだれも使ったことのない病室で、患者さんのモニター的にいろいろ体験し意見していただいてます。
一人入院患者さんがいるだけで、ガランとしていた病棟はちょっと病院ぽくなって、妻は毎日赤ちゃんの診察。看護師さんもそれぞれ前職の経験を集めて少しでも良い病棟を作ろうとちょっとずつ改良を加えてくれています。
ホントに最初からやるって大変です(^^ゞ
外来診療は・・・まだまだ静かな日々が続いております。
先代からの当院かかりつけの患者さんや、市立札幌病院で僕が診させていただいていた患者さんが手稲まで来てくれている方ほがとんどですが、中には周囲の産婦人科から「無痛分娩希望です」と紹介してくれて来院される方もチラホラ。
知らない患者さんとの出会いも軽くドキドキします。
まあ、急に混みだすなんて予想もしていませんでしたが、開院前の準備とは打って変わって静かな日中の時間に、まだ足りない院内の物品や、システム作りをやって、患者さんについては長~い目で見てゆっくりやっていこうと思います。
で、「羽田さん通信」第1話『はじめまして』の続きのお話もちょっと書こうかと・・・
僕が産婦人科医への道を選んだ所から。
2001年の春。医者4年目の終わりころです。
まだ産婦人科医になりたいとは思っていなかったころ、市立病院の中では大学の医局に所属していないで、麻酔科の在籍期間が4年と決まっていたので、そろそろ外科系の専門科を決めないとな~と思っていました。
研修で回った胸部外科から嘱託医で勉強してみないか?なんてありがたいお話があり、二つ返事で「よろしくお願いします」とは言ったものの、いざ翌年の院内人員配置会議で、僕が所属するはずの胸部外科嘱託医の席が没収されてしまったのです(+o+)
(売上やら力関係やらいろいろあったらしい。)
その席の新配置先が、当時市立病院で業績の著しく上昇していた産婦人科。
胸部外科からは研修医扱いで来ないか?とまで言ってくれたものの、泣く泣くお断りし、就職活動しよっかなと思っていたところに、翌日産婦人科部長からのお誘いでした。
「お父さんの仕事だし少しやってみないか?まずは大学に入局しなくてもいいから」と・・・
2001年4月からの仕事に当てがあったわけでもない僕。
医者になりたての頃は「産婦人科にだけはならない」とか思っていたのですが・・・
いざ仕事をさせてもらうと、それまでのやりたい勉強だけをかいつまんでやる軽い(研修という)立場とは違い、産婦人科(時に麻酔)のことしかできない生活がしばらくつらく感じたこともありました。
週に3日ほど1日4-5件の手術にかかわり、お産があれば夜も時間に関係なく呼び出され、きつい助産師さん達の中でもまれ・・・
でも数か月がたち、産婦人科医としての仕事にもだいぶ慣れたころ、僕が担当した母体搬送で運ばれてきた患者さんや婦人科の手術患者さん達から「おかげさまでよくなりました。」とか「先生でよかった」などのお言葉をいただいて、仕事の重さややりがいに気づいて、「この仕事もいいな」と感じたのを思い出します。
その後市立札幌病院産婦人科には2010年6月まで在職しましたが、学生の頃の夢を意識させられる出来事が2009年ころに起こります。
長くなってきたので、そのお話は次回。
「はだ産婦人科クリニック」を開業するまであと5年。
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