初めての年末
2013年12月31日(火) 雪のち晴れ
2013年もいよいよ終わりむかえようとしています。
札幌は真っ白な雪に包まれて、例年の通りの年の瀬の景色です。
当院は12月28日の診療をもって年末休みに入りました。
新規開業として始まって早くも2か月。
まだお産はお一人だけで、外来中心の診療を行っていますが、看護師・事務・助手さんたち皆で今後のお産予定や病院のシステムづくりにと精を出してくれ、忙しい真にあっという間に過ぎた2か月でした。
(年の瀬を感じる暇もないな なんて思っていたのですが、休みに入るとやはり日本の穏やかな年の瀬を感じますね)
話は変わって、年の瀬でも「はだ産婦人科クリニック開設までの道程」
2週間に1度の更新なもんでなかなか話が進みません(すみません)
2010年6月27日 我が家そろって日本を旅立った日からのお話です。
まずパラグアイという国のご紹介。
僕の生まれ故郷と言う話は先にしたと思いますが、父が医者になりたてで国際移住公社(今のJICA)の募集していた現地の診療所の医者として勤務し、その間に生まれました。
この国は面積が40万/㎞2で人口が600万人強(らしい)。
国土面積は38万/㎞2の日本より大きく、人口は北海道以上で千葉県と埼玉県の間と日本に比べたらとても人口密度が低い国です。確か13人
人口については650万とか700万と言う話もありますが何しろ発展途上国。
あてになる人口統計がありません(あるけどあてにならないという話)。
人口の10%以上はアルゼンチンやヨーロッパ、日本などに出稼ぎに出て行ってしまいはっきりした数字が捉えられないのかもしれません。
位置的には南米大陸の真ん中辺で、北にボリビア、東にブラジル、西と南はアルゼンチンにパラナ川・パラグアイ川(ラプラタ川の支流)や陸続きで囲まれています。
南回帰線(南緯23°26′)が国の北部を通り、南の端でも27°くらいで、東アジアでいうと台湾から沖縄県位に位置するとても暑い国(と思っていました)です。
経済は南米で2番目に貧しい国と言われ、国内に大きな工場や産業がない、日本から行った我ら家族にとってはちょっと想像できにくい産業構造でした。
2010年6月28日に40時間の空の旅を終えて無事(子供を一人も忘れ物にせず)パラグアイに入国した我が一家。
首都アスンシオンに1泊し、翌日、新居になるパラグアイ南部のLaPaz移住地に移動したのですが、その日がちょうどよい(?)ことに、サッカー南アフリカW杯のベスト16 日本vsパラグアイ戦の日だったのです。
覚えている方も多いと思いますが、その試合は0-0のまま延長も終わり、なんとPK戦に!!
首都からの移動途中、ドライブインで日系人の皆さんとテレビで見た居たのですが、周りはもちろん熱狂的なパラグアイサポーター。給仕さんも完全にテレビに夢中になって、PK決めたり外したりするたびに大騒ぎ
結果パラグアイが勝ったのですが、もし日本が勝ったらこのまま襲われるんじゃないかと本気で心配しました。 心の中では日本を応援してるんだけど複雑・・・
勝利後に通過する町は教会前の道が熱狂したパラグアイ人で封鎖されてるし、車の中に手を突っ込んできて「ハポネ!ハポネ!」(ほら日本人がいるぞ~!)って襲われ(?)る始末。
初日から洗礼を受けた気がしました。
勝ってたらヤバかったな・・・
なが~くなりましたね。
Paraguayサッカーの話を描きたかったわけではないのですが、次から、この国の私が経験した実情について書いてみようと思います(^^ゞ
1日しか進まなかった・・・
また新年号へ つづく
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