はだ産婦人科クリニック【札幌市/西区・手稲区】無痛分娩にも対応

産科・婦人科・小児科(新生児)・麻酔科

羽田さん通信

遅まきながら・・・

2014年01月15日 | 未分類 | 

2014年1月14日 火 晴れsmiley時々雪laugh

遅まきながら・・・
新年おめでとうございます。

2014年が始動してから、早2週間が過ぎました。
休日が何かと多い1月。
何やら仕事のペースがつかみにくいような新年ですが、当院は日本の慣例に習い4日から診療を開始いたしました。

開業後3か月目に突入し、患者さんは徐々にではありますが増加傾向で、周囲の開業医さんや連携先にさせていただいております大病院からも患者さんを紹介いただいたりして、「病院」らしくなってきました。
おかげさまでm(_ _)m

この2週間のうちに、当院2例目の出産もありました。
2か月ちょいでまだ2例目!?とかお思いになる方もいるでしょうが、周囲の関係者に聞くと半年は「お産もないでしょう」とのお話。
確かに産婦人科で分娩取扱い施設ときたら、開業時に妊娠の診断で来院した患者さんがいても、出産に至るまで約8か月かかります。
地域に少しは知られるまでのタイムラグがあって、コンスタントに出産があるのも1年位たった時かな~とか考え、焦らずしっかり真面目にやってまいります

ところで、2週間に1度の執筆になっているこのブログ(^^ゞ
当クリニックを作るまでのお話ですが、我が家が2010年6月29日に南米のパラグアイに「移住」したところまで来ました。
日本の医療現場に14年ほど身を置いた後のチャレンジだったのですが・・・

南米で2番目に貧しいと言われるパラグアイ。
日本では考えられませんが、現地の皆さんが口にする所によると、国民の平均月収が最低賃金(≒28000円)より低いとか、失業者が国民の半数くらいとか、首都の国際空港をでた街の目抜き通りに赤子を抱いた少女が物乞いしてたり、経済でいうと日本との差は歴然たるものがありました。
医療についても、例えばCTなんかは私の居た町にはなく、50㎞離れたちょい都会まで行かないとないし、MRIなんて400㎞離れた首都か川を渡った外国アルゼンチンまで行かないとない。
皆保険なんて制度はないから大多数の住人は日本みたいにちょっとしたことでは病院にかかれない。
病院にかかるとしても町に1つあるタダの慈善病院(日本的には若い駆け出しの医者が留守番してる「保健室」みたいな感じ)に受診して薬だけもらってじっと耐えるような・・・日本からみたら30~40年(もしくはそれ以上)は遅れてる?と感じる状況でした。

私が勤めた病院は日本の国が進めた移住政策の最中にできた日系診療所。
2000年ころまではJICAが直営していたのですが、今は現地の日本人会が経営している田舎の診療所です。
(雰囲気的には北海道の農村地帯をさらに田舎にしたようなところの一人医者の診療所です)

話は前後しますが、日系移住地について。
Paraguayには大きなもので3つ。少し小さいものを入れたら7-8個位あります。
55年前に、当時高度経済成長前で戦後のまだ貧しかった日本国が、戦地から引き揚げてきた人々とベビーブームで増えた人口を抑制する政策として行った移住政策がきっかけでできた町です。
日本政府が当時まだジャングルだった土地を買い上げ、日本から移民を募り、各個人に25haほどの土地(ジャングル)を分け与え切り拓いたのが始まりです。
現在もその移住地にはたくさんの日本人が住み、南米だというのに町の中では日本語が飛び交い、現地のパラグアイ人と共存し、独特の社会を形成したくましく生活する人々の集まりでした。
ホント別世界!

 

その日系診療所に始めは前任のParaguay育ちの日系人医師が居てくれたのですが、3か月目には私がほぼ1人で診療する体制になりました。(妻が小児を診てくれ1.5人態勢)
患者さんは日本人:パラグアイ人=1:1
言葉はスペイン語、グアラニー語。時にはポルトガル語のブラジル移民も居たりして多様でしたが、そういった生活に長く親しんでいる日系人の看護師さんが通訳をしてくれて何とか・・・。
言葉でいえば驚くのは日本人のおじいちゃんおばあちゃんが50年以上も外国暮らしをしてるのに日本語がペラペラ、と言うか日本語しか話せない(・。・;
此れには感心させらたと同時に全く日本にいるような錯覚に陥りました。
そして、衛星放送で見れるNHKを毎日欠かさず見ているのも凄かった。

地域では古き良き日本をそのま引越しさせてきたように、敬老の日には体育館で敬老のお祝いをみんなで行い、成人式には1月の真夏の40度近い気温でも振袖を着た新成人をお祝いしたり、入植の記念日には地域全体で公民館で祝宴を開いたり・・・
日本にいたら大事にされていないような文化がとても大切にされ受け継がれて、なんか日本にいて日本を大切にしていなかった自分が恥ずかしくなるような場面にたびたび遭遇しました。
(なのに移住地を一歩出たらそこは外国なのです)

移住地の皆さんにもとてもよくしてもらい、Paraguayでの生活はホント日本人として「いい経験」をさせてもらった~ということを今でも実感します。

そんなこんなで書ききれないけど、お伝えしたいことはまだまだ山ほどあるのですが、次回は医療についてもう少し書こうかと思います。

乱文がついつい長くなってしまいましたが、また次回 来週?月末??

今年もよろしくお願いいたします

 

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