はだ産婦人科クリニック【札幌市/西区・手稲区】無痛分娩にも対応

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羽田さん通信

近頃のAI・Dxについて ~寄稿文より

2025年03月08日 | 未分類 | 

2025年3月8日 土 晴れ

急に春らしい陽ざしと、昼間の気温になってきたここ2-3日。わが町札幌市手稲区の積雪は、降雪量と共に例年より少し多いようで、総降雪量は450㎝ほどで、積雪は今でも80㎝と札幌市のホームページに書いてました。積雪はさすがにピークは過ぎて少し減ってきたようです。

このままだと今年の春は少し遅い予感です。

最近の病院は、3月の出産予定は1日1件くらいを見込んでおり、病棟は数人の褥婦さんで静かです。今週も当院のリピーターの経産婦さんが多くて、きわどい難産が予想される出産はなく順調に生まれています。みんな無痛分娩です、

病院外の仕事ですが、医師会の「支部だより」に寄稿する仕事が前からお願いされてまして、ようやく書ききれたのでちょっとお披露目させて頂こうと思います。要望演題のテーマはAI(人工知能)について。最近の発展目覚ましいAIやDx(デジタルトランスフォーメーション)について書いてというものでした。

「時代遅れ人間のAI考」     羽田健一

近頃のAI(人工知能)を備えたコンピュータの普及は、情報化社会に比例するように急速に広がり、今更この流れをとめることや、禁止することもできないくらい身近になり、誰もが扱えるツールになっている。しかし、今現在の僕はAIの欠点や危険性の方に目が行く、時代遅れ人間に分類されると自覚している。

そもそもAIが搭載された機械(と言ってよいのか?)に触れたのは、45年以上前の「電卓」が初体験だったと思う。人の大脳の能力は偉大だと言われるが、「計算」と「記憶」という作業においては、どんな安産の達人でもAIは人間の能力をはるかに超えているだろう。僕の能力は、義務教育を終了して数十年、四則計算をほとんど電卓に頼ってきた結果、5桁割る2桁の筆算でさえも躊躇するくらいに記憶・速度・正確さすべてにおいて衰えている。

振り返るとAI機器の代表であるパソコンを24歳で手にした僕は、患者サマリーをパソコンで提出すべしという救命センターの研修で、慣れない打ち込みの面倒くささと、コピペの便利さを体感し、キレイな文字での情報伝達が当たり前になった。ほぼ同時に手にしたデジタルカメラで残しきれないほどの写真を撮ることは容易になったが、取りっぱなしの、連射した似た写真がPCのメモリーを占拠していることが常態化された。現像・焼き増しの手間がなくなり、苦労して思い出を残そうとする努力も減った。最近ではAIがちょっとした不細工は加工修正してくれて、写真撮影への緊張感もなくなり、美女や絶景への信用性も低下した。

仕事で与えられたポケベルが携帯電話になったのは25歳ころだったと思う。気になる異性の名前と電話番号の記憶は得意であったが、携帯の「連絡先」にその仕事を任せてからは、いつの間にやら全く記憶することが出来なくなっている。歳のせいもあろうが。

45歳を過ぎて手にしたスマホでは記憶量の多さ、便利さの進歩は言うまでもなく、一度開いた動画の関連動画が次々に押し付けられ、人為的な偽映像も現実の様に映るフェイク動画が目に入り、AIを駆使して、「誰か」が作った映像とは嘘と真実の境界不明感に不安を感じると共に、年々進化する画像にAIの進化を感じずにはいられない。

考えてみると、僕の人生の大部分はAIの影響を受けている。電卓で計算能力をなくし、ワープロやパソコンで字を書くことを忘れ、汚い字を読む読解力もなくし、デジカメで写真撮影の緊張感と思い出を記憶することをおろそかにし、美への感情も削られてしまった。更に携帯電話で人の名前と電話番号を記憶する能力を放棄し、誰もが手にするようになったスマホは勝手に視界に入り込んできて、思考することすら「AIが代行しますよ」と言っているような・・・ヒトとしての「退化」を自覚させてくれる。

確かにAIの普及で、仕事や日常生活でも様々な場面で、情報の受け渡しや、時間短縮の側面では多大なる変革をもたらした。医療の分野ではAIが正しい診断に導くことも多くなっていると聞く。

しかし、AIのもつ素晴らしい功績の反面、使用する人間は、ヒトとしての能力の退化も顕在化し、知らず知らずのうちに大切なものを奪われているのではないかと心配になる。これは僕だけだろうか?その果てには映画「ターミネーター」のような世界が来るのではないかと思えるほどにAIの進化とヒトの退化を危惧する。

AIとの付き合い方も、退化が本流の大人と、経験や失敗をもとに、想像力や記憶力を成長させる子供には悪影響のほうが大きく、個人的には子供とAIとの接触はなるべく避けた方が良いと思う。

当たり前のことだが、何でもかんでもAIだ!デジタル化だ!ではなく、使う場面や、使う人に配慮して、推奨や禁止を選択できる社会形成を望みたい。

 

長文・駄文にお付き合いいただきありがとうございました。(*^▽^*)

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