はだ産婦人科クリニック【札幌市/西区・手稲区】無痛分娩にも対応

産科・婦人科・小児科(新生児)・麻酔科

羽田さん通信

お盆明け 2014

2014年08月22日 | 未分類 | 

2014年8月21日 木 はれsmiley

こんにちはみなさん
お盆休みが終わり、北海道はもう秋の風を感じる季節になりました。
急に朝晩が冷えてきて風邪などひいてませんか?
当院も日曜を合わせて4日間のお休みを作りまして、事務職員などはしっかり夏休み。
外来もcloseだったもので、今週は反動で外来が盛り上がっております
休み中のお産は1件のみで比較的静かでしたが、開業医の宿命でお留守番の日々でした。子供と妻は小旅行・・・

そんな私ですが、先月札幌市医師会誌に投稿を頼まれまして、ちょっと長文の作文を寄稿致しました。
最近では日々語れない南米暮らしのことなども少し触れてみたりしたもので、長文ですがご紹介させていただこうかと・・・
3000字と言う長い原稿ですので、読みとばされる方はジャ~ンプしてくださいね
それでは・・・
 

「札幌発 南米パラグアイ経由 手稲行き ただ今乗車中」

私、羽田健一と申します。
平成25年11月に父の跡を継いで札幌市手稲区ではだ産婦人科クリニックを開業しました。早いもので8カ月が過ぎ、ようやくクリニック経営者の生活にも慣れてきたところです。同時に大病院勤務とはちがった責任と自由を感じながらの毎日を送っています。

私は大学卒業後、市立札幌病院の麻酔科と産婦人科に計13年強と南米のパラグアイ共和国のLa Paz診療所という日本人移住地の小さな診療所で約2年勤務し、帰国後1年4カ月を再び市立札幌病院で日本医療のリハビリを経て今回の開業に至りました。この開業を決意するのに少なからず影響した南米の発展途上国・パラグアイでの生活について書いてみたいと思います。

パラグアイは南米大陸のほぼ真ん中にあり、面積は日本よりも少し大きいのに人口は650万くらい(きちんとした統計がないとか)の大きくて小さな国です。主な産業は農業。海もなく、山もなく、人も少ない、のどかな草原ときれいな畑が広がる、位置も季節も風土も日本とは正反対にあるような国です。そのパ国の日本人移住地の診療所の医師として、現地の日本人会に雇われる形で赴任しました。
私とパ国のご縁は、父が昭和47年から1年7か月間、当地で国際移住公社(現JICA)の派遣医師としてLa Paz診療所に勤務し、私がそこで出生したことから続く生まれ持ってのものです。高校生の時から海外で技術者になりたいと思っていた私にとって、医師としての赴任は理想以上の念願の祖国回帰になりました。そして渡航前、治安はどうだ、教育は大丈夫かという不安はありましたが、幼児4人を含む家族そろっての新天地への「移住」というのが何よりもわくわくしました。

平成22年6月29日38時間の空の旅ののち、たどり着いたパラグアイ南部のLa Pazは、冬なのに見渡す限りの真っ青な小麦畑が広がる絵画そのもののような土地でした。その歴史は55年前に日本の外務省が進めた移住政策によって移民となった日本人が切り開いたジャングルからだというから驚きでした。
町の人口は3200人ほどで、そのうち日本人600強。町の中心部の土地所有や市役所の中心人物、経済の中心である農協の役員などはほとんど日本人が占めていて、町が日本の田舎そのものでした。さらに驚いたのは日本のお正月やこどもの日・敬老の日・お盆などの行事には町の体育館にみんなで集まって盛大にお祝いをするという、最近の日本でも見慣れないような日本文化を大切にし、語り継いでいる土地でした。敬老の日には若者が着物で舞踊したり、歌ったり…日本から来たのに南米で初めて古くからの日本文化に触れたような、少し恥ずかしくも懐かしい感覚を持ったのを覚えています。

パ国の経済はGDPで、南米で下から2位とも言われ、ほとんどの国民が最低賃金(約3万円)以下の収入しかないという状況でした。政府は貧しい国民のために各市に1か所ずつ慈善病院を開設し、最低限の医療を無償で提供してくれます。私のいたLa Paz市にも慈善病院があり、研修医上がりの若い医師が朝から午後3時くらいまで診療していました。問・視・聴・触診だけで、国や市が用意した無料の薬を処方するのが一般的な診療でした。検査なんてまずありません。
数年前までキューバから医者を「輸入」していた歴史があるほどの本当の医師不足に悩んでいたパ国で、にわかに医師を増員させたために若い医者も偉くなっており、ある程度経験を積んだ医師は町に出て、「お金があるなら見てあげる」といった商業的スタンスで医療提供している姿をよく目にしました。救急患者を搬送したらお金を払える家族が来るまで入り口で4時間待たされた…とか。

私の診療所は日本のJICAが建てた施設ということもあり、超音波とレントゲンと採血機器がそろい、半径30㎞圏では最も充実した診断機器がありました。患者は移住地の日系人が半数、あとは比較的裕福なドイツ系移民や日本人が雇っている現地人でした。(人口の多くを占める古くからのパラグアイ人は貧困層が多く、ほとんどが慈善病院へ受診します。)診療内容は高齢化した日系住民の内科的フォローや交通外傷、ヘビや犬・豚にかまれた動物咬傷、農作業中の切断外傷、酔っぱらいの喧嘩でのナイフによる刺創、月に1-2度の分娩、たまに運ばれてくる銃創など・・・数は少ないながらも様々な病気やけがに会いました。

日本の医療と比べて特徴的で印象的だったのは医療機械の遅れと、保険制度の有無による違いです。医療機械はCTが50㎞離れた国境の町まで行けば数台あり、交通外傷後の意識障害患者には撮りに行くように指示したこともありましたが、MRIなどは国内には400㎞離れた首都まで行くか、川を渡って隣国アルゼンチンまで行かねば受けられず、日本でMRI診断に慣れ親しんだ産婦人科医としては当初とても戸惑いました。(慣れとは恐ろしいもので、帰国頃にはパラグアイ化してエコーで手術決定もやむなしと思うになりましたが…。)よくよく考えてみたら、1週間に何度か停電する電気事情では高価な画像診断装置を置くには厳しい環境だったのかもしれません。
また、皆保険制度のないパラグアイでは病院受診自体が一家にとって生活を圧迫する一大事でした。貧困層の患者は病気になっても設備の整った私立の病院には受診せず、よっぽど具合が悪い時にPatronを捕まえ、給料を前借して受診ということもありました。検査も持ち合わせたお金と相談しながら最低限を選ぶといった具合で、CTへ行った方がいいと勧めた患者に「給料の半分がとられるから無理だ」と言われたこともありました。術後患者も日本だったら1週間ぐらいは入院している帝王切開後でもお金がないから早く帰らせてくれと2日目にはみな退院を希望します。普通分娩なら翌日でした。日本が過保護なのか?とか思ってしまいます。いずれにしても皆保険制度のありがたさと自費診療の負担の大きさを痛感させられた2年間でした。

他に直接の医療ではありませんが、パラグアイの報道では食中毒で大騒ぎしたことを見たことがありません。普段から寄生虫や食あたりが蔓延した亜熱帯の国では食べ物の管理は自己責任とでも解釈されているのか?毎年のように日本なら食中毒の原因食材探しでマスコミも大騒ぎしているけど、パラグアイの方が普通なんじゃないかと感じてしまったのは私が麻痺したのでしょうか?(カイワレダイコンに濡れ衣なんて事もあったなぁ)
同じように、インフルエンザで大騒ぎしないのも途上国の大らかさがなせる技か、日本が騒ぎすぎなのか…? 帰国した日本でインフルエンザが「死の病」のような騒がれ方なのに違和感を覚えます。数年前はタミフルなんてなくてただの風邪だったのに…医療業界としては金になる話かもしれないけどマスコミに流されすぎだと感じます。

医者として途上国医療から教わることなどそうはないかと思って挑戦してみたパラグアイ生活でしたが、健康と命(死)に敏感になりすぎた日本の医療に対する警鐘を鳴らされたような気がする途上国の医療現場でした。
大きな病院ではこんな一途上国の医療現場で見たものを、まことしやかに伝えるのは問題児扱いされそうですが、地域の一開業医として、情報に流され悩み多き素直でナイーブな日本人に『あんな遅れた医療の中でも元気に明るく生きている国民がいるよ』と伝えることが少しでも患者さんの悩みを楽にできればと思います。過度に健康志向が強くなった日本の「重圧」から解放されるきっかけにでもなれば、開業医としての役目が広がるかも・・・と勝手に期待している今日この頃です。

                             

  ( 札医通信 No.563  H26.7.20「緑陰随筆より )  


長文に最後までお付き合いいただきありがとうございました。
ご感想などありましたら、コメント頂ければ幸いです。
                                           健一

 

“お盆明け 2014” への4件のフィードバック

  1. Hikaru より:

    羽田先生こんにちは(*^^*)
    ブログいつも楽しく拝見してます♪
    市民講座で相談させていただいた
    りんごの町在住のものです(笑)

    パラグアイでのお話しとても興味深く
    拝読いたしました。
    日本の医療制度と違い、なかなか
    治療を受けることも難しいかたも
    たくさんおられるのですよね。

    日本は豊かですが、電化製品など含め
    便利になったことで
    いろんな身体の機能が
    弱くなってきたりしてるのではないかな、と
    個人的に考えることはあります。
    かくいう自分も、健康的な生活には
    程遠いですが(笑)

    話は全然変わりますが
    はだ産婦人科では、母親学級などは
    開催されていますか?

    • hadasan より:

      Hikaruさん こんにちは
      コメントありがとうございます。
      日本に帰ってきてもう2年になりましたが、パラグアイでの医療事情を思い出すと、日本で生活でき、医療を受け(医療を仕事とし)、いろんな保障に守られて日本国民でいることに対する感謝を感じずにはいられません。
      不便だった昔の生活がいい!とは間違っても言いませんが、この国も大人も子供も、みんなが、先人たちの努力に感謝しながら生活できるような国であってほしいと願う毎日です。ちょっと難しいこと言いすぎですかね? (^^ゞ
      話変わって、当院でも母親教室はじめます。
      近日中にお知らせに告知しますね。 今助産師さんが中心になって準備が鋭意進行中です。よろしくお願いします!

  2. 藤井 由枝 より:

    羽田先生、こんにちわ。
    毎日、おつかれさまです!
    パラグアイ事情がよくわかりました。
    日本は、とても裕福な国ですね。
    ほんとうに、そう、思います。
    医療の面では、少しの不調でも大事を取ろうと思えば
    すぐに病院へ足を運べ、薬をもらって安心する。
    なんて自分大事な過保護なのだろうと思いました。
    (自分は自分で守るべきと思っての行動だったのですが)
    しかし、今、初めて妊娠という身体になってみて、
    少しの頭痛や、ちょっとした胃腸の不調などにも薬を飲むことができず、
    どうやって過ごしたら良いのか、少し考えるようになりました。
    なんだか、我慢強くなってきているような気がします。
    健康な身体を保つためには、心も身体も気持ちも大きく、大切に過ごす。
    先生の文章を読んで、そう考えていました。
    これからも、皆さんに元気を与えて、手稲の元気な産婦人科頑張って下さい!!
    私も引き続きガンバリマス!!
    また元気にお会いシマショウ!!

    • hadasan より:

      藤井さん こんにちは。お元気ですか?長文を読んでいただきありがとうございます。
      貧しい国といわれる国で生活してみて、日本の豊かさや贅沢が悪いとは全く思いません。かえって世界がうらやむ何とやら♪は本当だと思います。治安、経済、社会保障、医療・・・
      最近の日本人が、貧しい国で精一杯生きる人たちよりも恵まれた環境なのに、頭の中で自分を不幸にしてしまったり、ちょっとしたつまづきをヒトのせいにしてしまったりするのは、とてももったいないと思います。
      比較論ですが、病気になったらこの国で医者にかかれることを感謝するべきであろうし、社会保障も治安も世界の国々比べ、何と恵まれているのかと感謝することを忘れてはいけないと思います。そうすれば日本人の悩みの一部は解消され、明るく幸せに暮らせるのでは・・・と日々感じて生きてます。 僕自身も

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